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観了 : 『田園に死す』 – 寺山修司

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はじめに

作り直しのない過去なんてないんだよ。

雑食青年です。『さらば箱舟』に続いて寺山修司の作品です!

脚色された過去を軸に話が進んでいき、歪んだ時間と記憶がシュールレアリズムによる艶を持って絡み合う、そんな作品でした。

 

『田園に死す』

監督: 寺山修司

作製国: 日本

公開年: 1974年

上映時間: 102分

あらすじ (ネタバレあり)

登場人物

私 … 15歳の中学生。父親がおらず、そのせいで過保護に育てられている。

私の母 … 私を過保護に育てる。

第1部 自伝映画

「私」は父親のいない母子家庭で過保護気味に育てられている。嫌なことがあれば、イタコに父親の霊呼び出させて会話するような毎日だった。退屈とはいえ、村人は父無し子とその母親にも優しく接するような村だった。

私は隣の家の人妻に恋心を抱いている。ある日、村にやって来たサーカスの団員から話を聞き、外の世界に興味を抱き始める。村での生活に嫌気がさした私は、同じように感じている隣の人妻と駆け落ちする約束をし、駅で待ち合わせて線路を歩いていく。

と、ここまでは大人になった「私」が映画監督になって作った自伝映画であった。試写会が終わった後、評論家と飲みにいく。

もし、君がタイムマシーンに乗って数百年をさかのぼり、君の三代前のおばあさんを殺したとしたら、現在の君はいなくなると思うか

(このシーン、映画史上一番かっこいい喫煙シーンと思いました。)

そして、家に帰った私は少年時代の「私」に出会う。

第2部 少年の日の思い出

「私」の本当の思い出は、映画と似て全く非なるものであった。脚色された、美化された過去は顔が白く塗られた人々が生きている。

サーカスは変態の集まりだった。

父無し子とその母親は蔑まれ、母親は赤ん坊を川に流していた。

隣の若妻は右翼の男と心中した。

少年の「私」は今の「私」に会う(今の「私」が少年の「私」に会うとも言える)。今の「私」は少年の「私」に、母殺しを促す。

作り直しのない過去なんてないんだよ。

家を出ようとすると、東京から戻って来た女によって無理やり童貞を奪われる。結局、母は殺せない。

現在の私は、過去と現在が入り混じる新宿の交差点で母と食事をしている。

~fin~

 

感想

母ちゃんがいなくても自分は存在するのか?

百年の孤独』よりも前に、シュールレアリズムが現れている作品でした。「母殺し」とか「過去の虚構化」とか色々解釈があっても良いと思うのですが、深いこと考えずに見ても面白い、ガツンとくる映画でした!田園という日本的風景は魔術的リアリズムにマッチしますね。この作品の完成で寺山修司は『百年の孤独』の撮影に自信をつけて踏み切ったんじゃないでしょうか。

あらすじを文字にすると、どうしても点になってしまう作品です。ぜひ鑑賞して線にしてください!

最後に個人的に一番魔術的リアリズムな映像と感じたショットを。

 

雑食青年

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